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天草にて~真知子先生との再会

真知子先生のお宅へ うかがってきました
予定より1時間も早く 着いてしまいました(^ ^;)

「あら~ 今さっき 朝ご飯ば食べ上げて
今から 着替えて 化粧なっと せなんて 思いよったところが
ぎゃん格好で・・・・」

と 顔をくしゃくしゃにして 笑いながら
玄関先に出てこられた 先生の お姿は
たびたまが覚えている あのころの 真知子先生より
一回り 細く 小さくなって 見えました

座敷に上げていただいて 座るのももどかしく
先生の手を取り

「先生 ずいぶんと ご無沙汰いたしました
先生 お懐かしい・・・」

と言ったきり
涙がポロポロポロポロ こぼれ落ちて
言葉を続けることが できなくなってしまいました

これでは
「何か よほど つらいことでもあって
天草に 帰ってきたのかしら?」
と 先生を 心配させてしまうでは ありませんか(^ ^;)

「すみません うれし泣きです」
と 言い訳しながら しばらく 甘えさせていただいて
泣かせていただきました

たびたまが あまり派手に 感涙にむせんでいるので
先生も もらい泣きされてか(^ ^;)
目頭を 押さえて いらっしゃいました

そこへ 同居なさっている 息子さんのお嫁さんが
茶菓を運んできてくださり
となりに 可愛い中学生の お孫さん2人が
きちんと正座して 挨拶してくれました
(女の子3人なのだそうですけど 一番上のお姉ちゃんは
お留守でした)

お嫁さんは お子さんが大きくなって
最近 アルバイトを始められたそうです

「私は これから仕事に行きますから
どうぞ お2人で ごゆっくり 積もる話をなさってください」
と お嫁さんが出かけられると
もう それからは 本当に 2人で おしゃべり三昧

あのころのこと
これまでのこと
現在のこと

 「先生 夏休みに Mくんたちと みんなで
   お邪魔しましたよねぇ そこのお座敷で なんか ほら
   畳の上に シート敷いて ここに右手を置いて そっちに左手を置いて
   右足をこっちに って すごい格好になる遊び・・・」
 「ツイストだろ」
 「そうそう! そうでしたね~ あれは面白かった」
 「わたしは あなたたちが 隠れんぼしたとば
   よう 覚えとるよ」
 「隠れんぼですか?」
 「●君たちが 押入の中に 隠れとったたい(笑)
   あれば思い出すとね あのころは 無邪気かったなぁ~って」

可笑しくてたまらないというふうに お腹を押さえて 2つ折になって
目尻に涙まで浮かべて 回想する先生

たびたまは その隠れんぼは 記憶にないのですが
きっと 男の子たちが はまって(=本気になって)
やっていたんでしょう

あのころの 中学生の男の子というのは それはそれは
子どもでしたからね(笑)

セーラー服のスカートの 裾上げ
していただいたことを 今も感謝している と話したら
先生は あまり 記憶に残っていらっしゃらなかったようで
「そぎゃん 細かかことば 覚えとってくれたとね ありがとう」
と おっしゃいました


驚いたことに
真知子先生は ずっと 教職を続けられて 定年まで勤められた
と たびたまは 思い込んでいたのですが そうではありませんでした

 「わたしは ●●中が 最後よ」

●●中学校は たびたまが 1年生のときに
真知子先生に担任していただいた 中学校です
たびたまが卒業した 15年後に 廃校になりました

 「えっ? そうでしたか?
   先生 下浦中には 何年 おんなさったですか?
 「3年」
 「えっ? たった3年?」
 「そう ▲君とか ▽君とかを 担任して・・・」

▲君? ▽君?
たびたま ピンときません

 「たびたまちゃんのお家のある方だと
   Fさんとこの ■■ちゃん・・・」」
 「あっ Y美ちゃんのお姉さん・・・」
 「そうそう」

たびたまより 2つ上の学年です

下浦中学校に 3年しかいなかったのに
たびたまより 2年上の人たちを 担任して
たびたまたちも 担任したということは
たびたまたちは
真知子先生が 教師生活の最後に 担任したクラス
ということでは ありませんか

つまり たびたまが 真知子先生に お世話になったのは
たった1年間 だけで
すぐそのあと 真知子先生は 学校を辞めてしまわれた
それどころか 教職そのものを 退職してしまわれたのです

そのことを たびたまが 知らなかったはずは ありません

たぶん その後の 歳月の間に
真知子先生と 1年しか 一緒にいなかったにも かかわらず
先生が いなくなったあとの2年間
いらっしゃらなかった という記憶が
すっぽり 抜け落ちて しまったのでしょう

3年間 ずっと お世話になったような
記憶に すり替わっていたのですね

夏休みに 友だちと
先生のお宅へ 遊びにいった 記憶
あれは 先生が 学校を辞められたあとの
ことだったのです

友だちと連れだって 自転車で 1時間かけて
何度か うかがったのです

記憶って
こんなに 曖昧に なるものなのですね~

 「先生 おいくつで 退職されましたか?」
 「48」
 「えーっ」 ←もっと若いと思っていた(^_^;)
 「主人が 教頭になることになってね
   だれからも 辞めろと はっきり言われたわけじゃ
   なかったけど・・・」
 「先生のような方が 途中で退職されるなんて
   もったいなかったですね」
 「今にして思えば ちょっと 早すぎたかな~と
   思わんでも ないけどね・・・」
 「まぁ でも ご主人様は
   先生が 教職ばやめられて ずっと そばにいてくださった方が
   お心強かったでしょうね
   教頭のストレスは 並大抵じゃ なかですもんね~」
 「そうね~」


現代の 学校事情を 考えると
ホントに もったいない 話だと 思うのですが
当時は 真知子先生のような
ベテランの先生の層が とても厚くて
なおかつ 「でもしか先生」の急増で
(「先生でもやるか」、「先生しか仕事がない」と
理念も目標もなく 先生になる人が 多かった)
教師が 余っていた という事情も あったのでしょう

ご主人が 管理職になると その奥さんが 教職を続けることが
はばかられるような 雰囲気が あったのです


大笑いしたり しんみりしたり
夢中になって おしゃべりしている間に
予定していた 2時間の 滞在時間は
あっという間に 過ぎてしまいました


この歳月の あいだに
大けがをされたり 大病をされたりして
とても か細く なってしまわれた 真知子先生

でも 昔は バイクで さっそうと通勤されていた
活動的な 先生だったんです

「●●のあたりの まーっすぐな 走りやすい道でね
気持ちよーく 走りよったら いっとき 居眠り運転 しとった(笑)」

とか

「あるとき 大潮と 大雨の 重なってから
●●のあたりの 海べりの道が 帰り道 なくなってしもうてね
まわりの景色ば 見ながら この辺りが だいたい 道だろう~
て 見当つけながら 足ばつきつき 乗ったまま 渡りきったたい」

なんていう びっくりするような 思い出話も うかがいました

「なんさま わたしは ばさらっかけん」(爆)

「ばさらっか」 とは 天草弁で
いい加減とか ぞんざいとか 荒っぽいとか
そういう 意味です(笑)


帰り際(ぎわ) ご自宅で つくられた
満願寺唐辛子や パプリカや 紫玉葱を
新聞紙にくるんで 持たせてくださいました


ばさらっか先生 ずっと お元気で いてくださいね

真知子先生
本当に お会いできて よかったです

ありがとうございました

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