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「王家」と「陛下」

大河ドラマ「平清盛」でたびたび出てくる「王家」という言葉にあれっと違和感を感じた。あれっと思った人は多いようで、だいぶ物議を醸しているらしい。「王」は「天皇」よりも軽い言葉として受け止められているからか「不遜だ」という意見があるとか。でも私が感じた違和感はそういう「皇室論(?)」だの専門的なことじゃなくて、何というか、「王家」という漢語の、語感の硬さとか、新しさとかいったものに、あれっと思ったのだ。

これは、林望訳の「謹訳 源氏物語」のしょっぱなのところで、帝に「陛下」という敬称を使ってあるのにあれっと感じたのと同じ違和感だ。むしろ「源氏」の方が時代が古い分、違和感はもっと大きい。

林望先生の、論語を読まされて育った世代の明治の知識人が学のない一般平民の婦女子にも理解しやすいよう格別に平易な言葉で語っているといった風情の、古めかしくも親しみやすい独特の語り口は大好きだけれど、「源氏」は宮廷の女房が書いたものでもあり、ここはどうも和語の方がしっくりくるのではと感じてしまう。もちろん、実際に平安朝で帝を「陛下」と呼んでいたという歴史資料があるのであれば、わたしの方の認識を改めなければいけないけれど、「陛下」と呼ばれる天皇をイメージするとき、わたしには明治以降の天皇しか思い浮かばないのだ。

いっぽう「王家」という言葉からは、わたしはどうしてもハプスブルク家とかブルボン王朝とか「王家の紋章」のメンフィスとかいった「外国」的なものをイメージしてしまう。それに大河ドラマの中では、盗賊だか町のごろつきみたいな人たちが「王家の犬」とやら叫んでいたような気がするけれど、「王家」という言葉のもつ体系的なイメージが、町のごろつきが口にする言葉としてはどうにもそぐわないような気がして気持ちが悪いのだ。たとえば「お上の犬め!」とか「鬼平の犬め!」とかいうのだったら、まだすんなり受入れられるのだけど。(もっとも、鬼平はだいぶ時代が下るけどね)


中古の日本語に詳しい人が出てきて解説してくれないかしら。 by たびたま


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