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モンゴルからの手紙

モンゴルからわたしのスポンサーチャイルド ビェナラの手紙が届いた。

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すみませんといってすみません

お礼を言う場面で「すみません」と謝るのはおかしい、「ありがとう」と感謝しましょう。

「つまらないものですが」と贈り物を卑下するのは相手にも失礼、もっと堂々とポジティブに。

こんなふうに言われると、何だか悲しい気持ちになる。「日本人はなぜこんなにネガティブな言葉を多用するのか」と外国の人が疑問に思うのならわかるが、当の日本人にまでそんなことを言われると、「ちょっと待ってよ」と反駁したくなる。

英語の "Thank you"は「わたしはあなたに感謝する」という謝意の表明だが、日本語の「すみません」は、自分が利益を受けるために相手に負担をかけたことの方に話し手の意識がある。どういう立場で発言するかが異なっているだけで、これも立派な感謝の言葉なのだ。

「つまらないものですが」だって、決して自分の贈り物を卑下しているわけではない。それが証拠に「ほんとうにつまらないもの持ってきたわね」なんて言われたら誰だってムッとする。

与える側はもちろん、自分の贈り物が「つまらないもの」だなんて思っていない。でも、「自分がいいと思うからといって、必ずしも相手が気に入るとは限らない」ということにまで配慮した、慎み深い表現なのだ。

「つまらないものですが」というのは、自分の功績や自分に属するものをことさらに誇ることをよしとしない日本人のたしなみであり、社交上の儀礼であり、コミュニケーションの形式である。形式だから、「たいへん結構なものを頂戴して」という受け手側の返礼と、必ずセットになっている。(だから「本当につまらないわね」と、たとえ思っても言ってはいけない。まあ、ふつう言わないだろうけど。)

もっとも、最近は「つまらないものですが」という言葉もあまり聞かなくなった。「○○ちゃん、これ好きかなと思って」「お気に召していただけるといいのですが」「ちょっと面白いと思ったものですから、先生にもお使いいただければと存じまして」などなど、アメリカ式のポジティブな贈り物アピールを、日本風のたしなみ深い表現に包んだ言い方を、上手に使いこなせる人が増えてきているのかもしれない。

とかく人は、1つの言葉だけを取り上げて善し悪しを論じたがるが、言葉はそれが使われる場面、文脈、使い方によって意味が変わる、幅広い可能性をもった道具だ。使う側も受け取る側も、お互いに思いやりをもって言葉を扱うように心がけることのほうが、特定の言葉を安易に悪者にしてしまうより、ずっと大切だと、わたしは思う。

注:ついでにいうと、「思う」は曖昧な言葉だからよくない、「考える」と言うべきだ、ともよく言われるが、わたしは「思う」という言葉は「考える」という概念を含んでいるので、問題ないと思っている。蛇足でした。


by たびたま

どんな人?

何十年生きていようが、人はそう変わるものではない。持って生まれた性質、幼少時に備わった、人や物との取り組み方の癖とでもいったものは、その人の「個性」として生涯ついてまわり、それが当人の武器として役立つこともあれば、生涯かけて取り組まねばならない「課題」の場合もある。

しかし他人に対して見せる顔は、そうした個性のほんの一部でしかない。職場では仕事モード、ご近所では社交モード、家庭では家族モードに切り替えて、誰しもその場その場でふさわしい役割を、(巧拙の個人差こそあれ)演じているのだ。

ところが一瞬気が緩んだときに「地」が出てしまい、「こういう人なのか」と思われてしまうと、挽回するのは難しい。

誰にでも起こりうることだが、大事なのは、レッテルを貼る側に回らないことだ。自分が危害を被りそうな場合は別として、そのときそのときの印象で、相手の人間性を断定してしまわない方がいい。その方が人間は楽しい。

カラオケの作法

日本人というのはつくづく決まりごとをつくるのが好きだなと、我も日本人ながら思い知らされたのは、カラオケの場に「ルール」があるということを知ったときだ。

歌う回数が平等に回るように気を遣うというのはまだわかるとして(聴いてる方が楽しいという人もいるはずだが)、まずはみんなが盛り上がる、ノリの良い曲を歌わねばならないという。万感を込めて歌い上げるバラードをいきなり披露すると顰蹙を買う。まして洋楽など選んだ日には、協調性のない人という烙印を押されてしまい、それが下手なら「ヘタなくせに」と陰で笑われ、逆に上手くても反感を買って結局「KYな人」にされてしまうので、そういった曲が好きな人はあらためて「一人カラオケ」なる機会をつくり、誰に非難される心配もなく、思う存分バラードを歌いまくるのだとか。

こんなささやかな娯楽の場ですらそこまで気を遣わなければならないとは、ほとほと気疲れのする、ご苦労な世の中である。

進化

OutlookでWebメールを送受信するための設定をしながら、「進化したなあ」とあらためて感動しています。

サーバ情報をいちいち入力しなくても、メールアドレスとパスワードだけ与えてやれば、自分で勝手に接続して、テストして、アカウントを作成して、おまけにアカウント別にフォルダを作成して、自動で振り分け受信するところまで自動でやってくれる。

メール設定だけじゃない。周辺機器だって、ちょっと前までは、いちいちドライバをインストールしてやらないといけなかったのに、最近はただ差し込みさえすれば「新しい機器ですね、ちょっと待って……ハイわかりました」って勝手に認識して、覚えといてくれる。

コンピュータが「家電」感覚で使えるときがくるなんて、いくらなんでもそりゃ無理よ、と思っていたけれど、本当にそんな時代も遠くないかもね?



通信料も進化してくれれば言うことないけど。 by たびたま

「王家」と「陛下」

大河ドラマ「平清盛」でたびたび出てくる「王家」という言葉にあれっと違和感を感じた。あれっと思った人は多いようで、だいぶ物議を醸しているらしい。「王」は「天皇」よりも軽い言葉として受け止められているからか「不遜だ」という意見があるとか。でも私が感じた違和感はそういう「皇室論(?)」だの専門的なことじゃなくて、何というか、「王家」という漢語の、語感の硬さとか、新しさとかいったものに、あれっと思ったのだ。

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新しい年

新しい朝
新しい今日


がんばろう東北
がんばろう日本
がんばろうわたし


いい年にしよう


今年もよろしくお願いします by たびたま

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